大澤怪奇インタビュー|大澤勇太のΛυΛμε.
大澤勇太 × 杉本一就 × 前原朋之|部室からゲーム映像へ。好きなことと、みんなで遊ぶこと。

今日は、新キャラの大澤勇太さんを迎えて、大澤さんを深掘りする回にしたいと思っています。
一緒に仕事をしていると、なんとなくわかった気にはなっているんですけど、改めてこれまでどんな映像をつくってきたのか、何を大切にしているのかって、意外と聞いていないじゃないですか。ΛυΛμε.でこれから何を一緒にやりたいか、というところまで話したいです。杉本さん、どうですか。知りたいですか?
楽しみですね。
怖がりだから、ホラーをつくる。
まずは、この記事で初めて知る方に向けて、自己紹介をお願いします。
大澤勇太です。34歳で、新卒で映像制作会社に入って、それしかできなくて。ゲームが好きなんですけど、デジタルのゲーム以外にも、ボードゲームとか、フィジカルなゲームも趣味でやっています。
カードですよね。
主にカードゲームですね。今はちょっと、ナルトのカードにハマっていて。(嘘:インタビュー時点で未発売)
え、ナルトのカード? ワンピースはもう終わったんですか。直近までめちゃめちゃやっていたじゃないですか。
新しいものも好きなので(嘘の顔)。
…。(察した顔)さぁ、じゃあ仕切り直して。
普段、映像の仕事では、どういうものをつくっているんですか?
自分はホラーが多くて。僕、すごく怖がりなんですよ。ビビりなんです。新しいこともしたくないし、新しい場所にも行きたくないし(嘘)
自分が怖いと思うものって、世の中の人にも結構共通していると思っていて。そういう観点で、ホラーゲームの映像を世の中に出し続けています(これは本当)
欲しかったのは、電源のある居場所。
ゲーム映像にたどり着くまで、どういう変遷があったんですか。そもそも、いつから映像をつくり始めたんですか?
大学のころ、文化部に入ったのがきっかけですね。部室に居場所が欲しくて。食堂とか、芝生の上にいるのが嫌だったんですよ。
オープンスペースが。
なるべく電源のある場所にずっといたい、というのがあって。高校からそのまま上がった大学だったので、先輩に「部室あるよ」って誘われて入ったんです。
でも、そこにいるためには何か役割を持っていなきゃいけない。撮影と編集をする「制作部」というところがあって、それをやることになりました。みんなでPremiereの使い方を勉強したり、カメラで部活の人たちの様子を撮ったり。それが映像を始めたきっかけです。
映像の部活だったんですか?
広告研究会です。ミスコンをやっていて、その候補の人たちを一年間ずっと撮っていました。取材があればついていくし、撮影会があれば行く。ウォーキングの練習とか、どんなドレスにするかという打ち合わせとか、そういう様子を撮るんです。
それ、楽しかったですか?
楽しかったですよ。めちゃめちゃ。候補の人たちが一年を通して成長していく物語なんですよね。
大澤さんが編集もするんですか。
編集もします。そういうことをやりながら、ソフトの使い方を覚えていったんです。次の代の子が「制作に興味があります」って入ってきたら、「こうやって操作するんだよ」って教えて。そのあとは「いいからゲームしようぜ」って(笑)。部室でずっと『バイオハザード』をやったり、麻雀したりしていました。
それが大澤さんの、映像の原体験なんですね。
そうですね。そこから一つ上の先輩に、「AOI Pro.っていう会社に入った友達がいるんだけど、お前も行ってみれば」って言われて。説明会に行って、その流れでアルバイトを始めました。
AOI Pro.のアルバイトからなんですね。
そうです。就活をしないで遊んでいたので、もう一年就活の期間があって。その途中でアルバイト先を見つけて、ずっとそこにいました。
編集がしたかった。気づいたら、お弁当を運んでいた。
部活でやっていたことをアルバイトにして、さらに仕事にする。その流れの中で、やっぱり何か「いいな」と思うものがあったんですよね。
僕、職業理解を誤っていたんですよ。編集をする人間になりたかったんです。エディターになりたかった。
編集ができる人間としていたかったのに、「なんで俺、お弁当を運ばされているんだろう」って。
それ、いつ気づいたんですか? アルバイトのとき?
そうです、アルバイトのときです。当時は月に一日しか休みがなくて、一週間に一回しか帰れなくて。まず、布団を探すところから始めました。
アルバイトのときから。
そこから入社して、いろんな広告の仕事をやるんですけど、一番面白かった商品がゲームだったんですよ。
ゲームの映像は、試行回数が多いというか。実写を撮影しました、テイクが三つあります、それを15秒でいいように構成します、ということよりも、僕はずっと編集をこねているような仕事が好きだったんです。
撮影まで持っていって、プロのスタッフの方と撮影を頑張る、ということよりも、編集のほうが好きなんですよね。AOI Pro.では、アルバイトのころから佐藤一樹さんと一緒に仕事をしていました。
その後、配属されたところでもゲームの仕事をたくさんやっていました。ただ、そのチームがなくなるタイミングがあって、そこから別の部署に移って、テレビCMもやるようになりました。
東京建物さんの仕事とか、エビ中のPVとか。そのあと、先輩から引き継いで、お茶の仕事をずっとやっていた時期もあります。
THINGMEDIAに来る直前まで、そういう仕事をしていたんですか?
そこからいろいろあって、コロナを経て、不動産もやっています。不動産の営業企画みたいな仕事ですね。
「ゲームをやるぞ」で戻ってきたら、まず実写だった。
そこから、どうやってTHINGMEDIAにつながっていくんですか。
そのときは僕が発注する側で、THINGMEDIAに配信の仕事を頼んでいたんです。飲みに行ったときに、「CONTINUEっていうチームをつくる」という話を聞いて。「ゲームのやつをやるから、制作で来てくれ」って誘われました。
CONTINUEの立ち上げがきっかけだったんですね。杉本さんは、頭からいたわけではないんですか?
そうですね、最初からではないです。
当時は業務委託の人も多くて、僕もそうだったんです。社員ということで言うと、杉本しかいなかった。
社員は僕しかいなかったですね。
社員さんだったんで。しかも新卒だし。言うことを聞くしかないですよ。
いや、そんな話じゃないですね(笑)。
入ったのはいつごろでしたっけ。2021年?
何年だろう。全然わかっていないです。数字はどうでもいいんですよ(笑)。四、五年前だと思います。
ざっくりですね。
でも、来て最初の二件くらいは、結構な実写案件だったんです。「ゲームやるよ」って言われて来たのに、普通に実写で。Spotifyの仕事とか、叶姉妹の撮影とか。
ゲームをやりに来たのに。
そう。「何?」って思いながら撮っていて。数か月くらいたったら、やっと「ゲームやろう」になって、あるゲームシリーズの仕事をがっつりやり始めた、という感じです。
僕が2024年に入ったときには、CONTINUEはもう会社の外に出ていたんですよね。ただ、僕が入社するまでは、ゲームの仕事はほぼそのシリーズが中心で、それ以外は代理店さん経由のゲーム案件が一部あるくらいでした。
そうですね。CONTINUEを立ち上げたときには「ほかのゲーム会社にも広げていこう」という話があって、僕はそのための挨拶回りなどをしていました。あんまり仕事には実際ならなかったけど。
変遷がありますよね。でも、THINGMEDIAに入ってきた動機にも、今こうしてやっていることにも、ずっとゲームの仕事がある。
ゲームは、人生にずっとあった。
ゲームはいつ登場するんですか。大澤さんの中では、最初から「ゲームの映像をつくりたい」という気持ちがあったんですか?
いや、ゲームは人生にずっとあっただけです。子どものころは基本的に携帯ゲーム機で遊んでいて、据え置きはゲームキューブが最初でした。
あとは『モンハン』が本当に流行っていたので、ずっとPSPで生きていました。
僕も一緒です。年が違うのに。
そうそう。だからポケモンもずっとやっていて。スマホを手に入れてからは、ソーシャルゲームにめちゃくちゃハマりました。
一番ハマったのは何ですか?
『ログレス』です。
僕も『ログレス』やっていました。高校生のときです。
そのころに出会いたかったですね。僕、実家暮らしでアルバイトして、月にお金が入っても、全部『ログレス』に使っていました。アルバイト代が一銭も残らないんです。全部iTunesカードにしていました。
すごいね。
「これじゃいかん」と思って。今はソーシャルゲームはそんなにやっていないです。
「ゲーム映像を撮りたい」と思って映像に入ったというより、ゲームは普通に好きで、部活からアルバイト、仕事へと進んだ先で、その好きなゲームと合流した感じなんですね。
そうですね。映像自体は、別に何でもよかったんですけど。
映画も好きですよね。『ストレンジャー・シングス』も好きだし。『グーニーズ』も好きですよね?
『グーニーズ』は見たことないです。
面白いんだよな、このへん。一番見ていそうなのに(笑)。
隣には、After Effectsを使う山本琢也がいた。
入社のときは、もうこの仕事を続けようと思っていたんですか?
そもそも、自分ではエントリーシートを出す気がなかったんですよ。先輩が書いてくれて、それを別の人が本社に出してきてくれたんです。
大澤さんのエントリーシートを書いた先輩がいた、ということ?
書いた人と、それを本社に持っていった人がいるんですよ。「お前は入らなきゃだめだ」って(笑)。
面接で「この仕事じゃなかったら何をするの?」って聞かれたとき、めちゃめちゃちゃんと話したんです。この仕事をする気がなかったから。それがすごくよかったと言われて、採用になりました。
すごい話ですね。
合否の連絡が来ていなかったから、ちょっと安心していたんですよ。そうしたら、二日遅れくらいで、知り合いの人事の方から「ごめんね、大澤君。採用なんだけど、どう?」って電話が来て。「わかりました、行きます」って。
入社してしばらくして、一樹さんたちのところに移ったら、「よく来た、ソルジャーよ」「お前のことは知っているぞ」みたいに迎えられて。即戦力だ、って。
会社からはWindowsのPCを渡されていたんですけど、「Macを買ってこい」って言われるんですよ。「それがないと仕事にならないから」って。「お金ないです」って言ったら、貸してくれて。それで買いに行きました。
物好きですよね。そんなことをしてくる人の会社に、今、入っているんだから(笑)。
それで、山本琢也さんとも同じ会社にいたんですよね。
アルバイト時代、山本は隣にいました。山本もアルバイトをしていたんです。当時は存在を知っていたくらいで、「すごくAfter Effectsを使っている人だな」って思っていました。別に話すことはなかったんですけど。
この前の記事でも話していましたけど、当時からいろいろ動かしたかったらしいですからね。
関連記事:ずっと手放さなかった「好き」|山本琢也のΛυΛμε.
僕もその気持ちはあって、当時からAfter Effectsを自腹で買って触っていました。でも、PCが動かなすぎて。
作業環境が、今とは違いますよね。
全然整っていなかったですね。
編集をしたくて入ったけれど、制作という仕事をする。そこは、いつ受け入れたんですか?
それは早かったですよ。アルバイト時代から。一回社会に出て、会社員をやる期間は必要だなと思っていたんです。何をやるにしても。
PMが、ポケモンマスターになった。
AOI Pro.に入社したあとは、どうなっていくんですか。
佐藤一樹さんの『Pokémon GO』の仕事を横で見ていて。その流れで、自分もポケモンの20周年の映像などに関わることになりました。
そこで、ゲーム画面の撮影に本当に快感を覚えたんですよ。代理店さんのところで、ずっと作業をしているだけのはずだったのに、気づいたら自分がポケモンの技構成とか、編集の構成をすごく決めていたんです。
ヒーローじゃないですか。
PMって、ポケモンマスターって呼ばれていました。何も進行していないけど、ポケモンのことだけはすごいって言われていて(笑)。
記憶に残る一本。理由は、スズメバチ。
ちょうど聞こうと思っていたんです。プロデューサーとして、ということに限らず、大澤さんの中で記憶に残る一本って何ですか?
滋賀の美術館で撮影した、お茶のCMですかね。佐藤浩市さんが出演されていた、特選茶のCMなんですけど。その現場で、スズメバチに刺されたんです。
そんなことなんですか(笑)。
結構ショックな仕事でした。人に殴られたかと思ったんですよ。本当に。
激痛だったんですか?
吹っ飛んだんですよ。『ONE PIECE』のインパクトダイアルみたいな感じで。一か所に来ているはずなのに、荷物を持った僕が倒れているんです。
針なのに、打撃の感じなんですね。
「うわ、誰だよ」って振り向いても誰もいなくて。すごくだだっ広いところだったんです。撮影現場はちょっと離れたところにあって。そこで「刺されました。痛いんですけど、これどうなっています?」って。
カメラマンの方とか、制作の方たちが必死で見てくれました。ちゃんとした地方ロケで、責任も感じているタイミングだったので、不甲斐なさもあったんです。「かましちゃったなあ」って。
それが、大澤さんの記憶に刻まれた一本なんですね。
そうです。自分の一本は、美術館で撮ったお茶のCMです。
映像をつくりたいのに、先に選手として出てしまった。
制作を経て、ゲーム画面の撮影をするようになって。そこから映像の企画や構成まで、自分で考えることもあるんですか?
ありますけど、たまにですね。面白いことが思いついたら、楽しいじゃないですか。
ここまで、大澤さんの源流の話を聞いてきましたけど、杉本さんは聞いておきたいことがありますか。
最近の大澤さんのことですかね。
この半年くらい、会社の中でも違うチームにいるようなところがあったから、改めて聞きたいですね。この一年くらいは、どんな仕事をしていたんですか?
「ロゴモーションをつくってください」という仕事が結構多くて。最近だと、KONAMIの『Rhapsody in Scarlet』などですね。
あとは、ワンピースカードの仕事をとにかくやりたいんです。気づいたら先に、選手として出ちゃったんですよ(笑)。
大会に出ていましたもんね。
「自分が選手として出られてよかったな」と思って終わっています。「もしかしたら、俺がつくる側にいたかもしれないな」って思いながら大会に出られたのは、楽しかったです。
8月ごろも、忙しかったですよね。
8月くらいは、とにかく本数が多かったですね。
会社に顔を出せないくらいのスケジュールだったんですよね。
会社には、ずっといましたね。
あ、ずっといたんですか?
帰っていない、という意味です(笑)。
あの時期は、みんな忙しかったですよね。会社全体で編集をしていて、山本さんのスケジュールも取り合っていた。そのピークが終わった直後、という感じなんですね。
そうですね。嵐が過ぎ去った。
ΛυΛμε.でやりたいこと? みんなで遊びたいです。
ΛυΛμε.で、これからやっていきたいことはありますか。大澤さんにとって、ΛυΛμε.ってどうですか?
いや、もう自分は映像しかつくれないんで。……でも、ちょっと絵を描こうと思っています。
それは、本当にやろうと思っているやつですか?
イラストくらいのものを、淡々と描いていこうかなと思っていて。それを、ゲームをつくったときに中に配置してほしいです。
大澤さん、絵はうまいですよ。
普通に、大澤さんがΛυΛμε.をどう思っているのかも知りたいですね。
前原さんは、全部話しているつもりだと思うんですけど、僕は基本的に何も聞いていないんで(笑)。本の話とかも、単語しかわからなかったりするんですよ。
そうですよね。本当に、この一年くらいの話ですもんね。
だから、「ΛυΛμε.として何をするか」と言われても、活動内容がまだよくわかっていないところがあるんです。僕にとっては、映像をつくるところという感じなので。
でも、みんなでベイブレードをしたりとか。仕事としていろいろつくるというよりは、みんなで遊びたいです。
「ガス抜き大臣」の出番かもしれない。
最近、みんなで遊んでいるんですかね。あんまり遊んでいない気もしますけど。
誰かが『時のオカリナ』をやっているのを見ながら、お酒を飲んだりしていました。自分ではもう知っているゲームなんですけど、初めてやる人のプレイを見るんです。
ああ、いいですね。そういうのって、今のΛυΛμε.ではあまりないですね。やってもいいですよね。
もともとはそうだったじゃないですか。「ピザ食べましょう」とか、「アニメ見ましょう」とか、勝手に集まってやる感じ。
僕は、自分ではそういうことをあまりやらないから。その風を吹かせていたのって、大澤さんだったじゃないですか。ガス抜き大臣ですからね、大澤さんは(笑)。
前原さんがゲームをやっているのを、みんなでお酒を飲みながら見たいです。
俺はやらないよ(笑)。『マリオカート』とかならやるけど。
参加してほしいんですよね、前原さんにも。
僕は今、AIというおもちゃを手に入れて遊んでいるみたいな状態なので。そういう意味だと、ずっと一人で遊ぶタイプなのかもしれないですね。
一日三食、ラーメン。集まれたのは12月30日。
ラーメンの会もそうなんですよ。もともとは杉本が、「本物の家系ラーメンを食べさせたい」って言い始めて。
じゃあ二人で予定を合わせて、一日中ラーメンを食べる日をつくろうと。一日三食、ラーメンにしようって言っていたんですけど、仕事が忙しすぎて、気づいたら季節が二つ終わっていたんです。
やっと予定が合ったのが、12月30日。それが四年前で、そこから毎年「みんなでラーメンを食べましょう」ってなって、だんだん人が増えていきました。前原さんも来ましたよね。
二年前ですね。いっぱいいましたよね。
大澤さんとは、ゲームもラーメンも合うんですよ。
ゲームもラーメンも。確かに(笑)。
一枚岩じゃなくても、一緒に遊べる。
大澤さんは、みんなで遊びたい、と。
そうですね。
ちょうど別のところで、僕は麻雀を勉強しなきゃいけないんですよ。そういうときに、ここにいれば人数がそろう、というのはいいですよね。
そこは今まで、意外となかった。僕はずっと「仕事こそ遊びだ」みたいなところでやってきたから、こういう感覚の人がいるのは新鮮です。
いいですね。決して一枚岩ではないぞ、という感じの記事になりました。
派閥があるとか、そういうことではなくて、みんな同じ型に固定されていない。それに僕も2人いない。
大澤さんが二人いたら、それが一番怖いし、ホラーだけどね(笑)。
終わろう(笑)。
じゃあ、一旦ここまで。ありがとうございました。
これは変なコラムになるなぁ。
※本記事は録音した対談をもとに、発言の趣旨を保ちながら構成・編集しています。